マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)マンガはなぜ規制されるのか - 「有害」をめぐる半世紀の攻防 (平凡社新書)
(2010/11/16)
長岡 義幸

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 エロ漫画規制の系譜と方法、その結果に関してジャーナリスティックに論じた、中々の力作であり、東京都での「青少年健全育成条例」の改正の意味するところを解く上で非常に示唆的であった。本書の最初にも書いてあるが、太陽の季節 (石原慎太郎・新潮文庫)で若者が性的社会的蛮行を謳歌する姿を賛美し、若者たちを「太陽族」へと煽った事が問題視された時、著者は「世代での価値観の相違」を口にしている。逆に言えば、そのような価値観・見識を持った者がやがて壮老年となれば、エロ漫画をめぐる馬鹿らしい動きも霧散する筈である。それを総括しない石原慎太郎は賞賛されるような破廉恥の典型であること、それを後押しする子供を守れない無能な親たちが数多く居ることが、事をひっくり返せば明らかと成る。今回の出版界における表現の自由と消費者の内心の自由、社会学的に証明されている代替満足による抑止効果に関する一大問題は、単に出版界や愛好者・サブカル的側面からの問題だけではない。過去を範に採れば、その道の中で表現のもっともソフトなものを槍玉に挙げることで、一斉に同類のそれよりハードな書籍も封印がされ書棚から消して行かれたこと、その過程は全くの主観的人治主義と摘発する権力の横暴に寄ってなされてきたといっていい。
 つまりは、既にラベリングも住み分けも為されてきたところにこの条例である。何のためかと言えば、社会への合法的暴力機関たる警察に、いいフリーハンド・天下りポストを与えたといっていい。

 子供を守るのは親の役目「だった」。そして守られるべき子供の権利とは、本書にもあるとおり、清濁善悪の多様な中において正しい判断を下せるようになること=自我の確立、である。恣意的な純粋無垢・無菌状態で飼育することではない。エロ本(写真だろうが非実在青少年だろうが)を持つ子をもってしまった親は、その本と出版社に逆切れすることではなく、自省的にどうあるべきかを子に諭すことではないか(と思春期にエロモノに縁のなかった私は思うが、そんな私が言っても説得力に欠けるか)。決して暴力機関の家庭介入を許すべきではない。

 この条例によって守られたのは、(警察の)天下りポスト、石原慎太郎の今後のポスト、無能な親の馬鹿さ加減である。あ・・・でも「俺の嫁」の貞操が守られたと喜ぶ人も居るか!?

必殺・低血糖!

感度・露出時間とダークノイズ

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2010-12-18 22:34