なにやら妙な研究してる・そういう噂~環境科学&農生態学系物質循環研究者の日常~
 個人的に「食肉は美味しいが、屠畜は卑しい」、とか、「家畜の生きる権利を/陰で家畜が殺されていることを考えろ」、とか言う慣習は受け入れがたいか、或いは物言いは意見として否定はしないが押し付けるのは間違いだ、と考える口だ。前者は問題外の無知蒙昧であり、後者は黒毛和牛は泌乳量が子牛を育てるのに必要な量の2/3以下なので、人為でなければ生き残れない。これをどうしろと言うのか?或いはホルスタインは子牛を育てるのに必要な泌乳量の一桁上搾乳を行うが、果たしてそれが母体にどう影響するのか、を考えているだろうか?ビーガンは趣味以上のものじゃないし、インフルエンサーが次々肉食で壊した体調を回復している事も考えた方が良い。家畜なしにもう現代のホモ・サピエンスは生きていけないのではないか?勿論バラエティはあるから、大丈夫な人もいるというだけ。
 そういう面では全く闇の中の仕事である屠畜の仕事をオープンにした本書の価値は高い。「ドキュメント・屠場」(岩波新書)が同和問題に半分を割いているなら、本書はほぼ屠畜の世界を精緻に容易に理解できるよう書かれており、その上文化史的や仏教、日本社会における肉食のニッチを明らかにしたことで、よりその凄さを知らせてくれているなかなかの名著だ。
 私は肉牛を屠畜するのを気絶させるところから背割して見事に枝肉になるまでを当時の職場で見たが、あれほどまでに優れた刃物の扱いでさばいていくことには、感嘆しかなかった。業務課の方に、これ見ると肉が食いにくくなるかもね、と冷やかされたが、肉は美味しく味わって食べないと駄目だな、と思った。まあこういう考えは奇特なのだろうけど…。
「ドキュメント・屠場」は色々なことが判っている前提として書かれていた(ヤスリの役割など)が、本書ではすべてが詳しく解説されているので、初めて読む書としてはずっと優れている。また、仏教は本当に肉食を否定していたか、といった問題にも、私的意見であることを明示したうえであるが、原点に戻ってみると、実は否定していないこと(ブッタも実は肉食をしていた)、万葉の昔に肉食を食べていた実際の所、など肉食と日本人の歴史的なかかわりも記しており、その生き生きとした筆のノリは中々に良い。ちなみに「ドキュメント・屠場」では明治天皇に獣肉を献上する所からだから、歴史の桁が上がっている。本書に加えるなら、親鸞以前には仏教が葬式を行うのは神道で葬式を行う事が極稀であり、それが共に死穢(しえ)に由来することが、未だに残る側面となったという事も絡めたほうが良いと思った。
 農作物が実際どんな作物かが販売される現場で知られなくなってきて久しいが、肉もまた然り、それ以上にもっと知られていないと言って良い。私は技術に特別リスペクトがあるからか、あのシステマチックな屠畜の現場のてきぱきとした仕事の良さを持っとりかして欲しい、という著者の意見には全く同意する。無知は罪である、と再度言うようになった昨今、食というモノを根源から考えて見るなら、本著は素晴らしい入門書である。

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【2021/05/04 22:02】 | 本・読書
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