なにやら妙な研究してる・そういう噂~環境科学&農生態学系物質循環研究者の日常~
 何とか起きられた朝、しかし今日は外部資金の申請書の日と思ったら仕事にならない。悩ましく、しかししばしば頭を切り替えると自動機械のように書くべきことが浮かび、断片的だけど書き進む。煮詰まると適当に別事で冷まして、また書き込む。そんな事の繰り返し。気分は天気同様どんより。 昼もサンドイッチで済ませ、気分転換に歩く以外、職場館内から出ることなく残業して、研究室最後のひととして電源を落として戸締りをして退出となった。

 明るい時に雨を確認して、路面が濡れているのでまだ降ってるのかな?と思ったら雨は無し。フロントガラスに水滴も無く、丁度いい感じで湿気を冷たさとして感じる程度の気温になっていた。この感じは悪くは無いな、そう思いながら、車を走らせて直帰。少々渋滞に巻き込まれたが、概ねノンビリいいペースで走れた。

 申請書に悩む一日だったが、どうでもいいから埋めることだけは出来た。いい仕事した気分で返れると言われる”Get wild退社”にはなれなかったが、まあそんなもんか。明日はこの申請書に相応しい図表を貼り付けて再度読み直すことか。

 ここしばらく、帰宅してから起きて居られて頭が働いている時に、例によってのHPのコンテンツを作っていた。こういう玩具を作る事に気分を向けられるといい感じになれるらしい。言語は教えられることなしに使えるようにならないが、シュタイナー教育で工作や図画を中心とした創造活動をさせていると、教えないでも自然と紡ぎ出してくる絵やコンポジションが何かしらネイティブなもの、例えばアイルランドの高十字架にあるケルト文様の様なもの、が出てくるという話を昔テレビで見たことがある。カーソンのSense of Wonderは自主学習であることは明らかで、5年ほど前に出前授業をしたときにそんな小学生が居たのには嬉しく、成程と思ったものだが、文字の無い言語文化圏のもつ文様というのは、人類とは言えなくても、近しいネイティブな感覚をどこかしら共有しているのか?と思ってしまう。
 もう一つ考えるのは、科学の様な言語化されたものだけでなく、絵画や彫刻は言語化されにくいものには、より広くネイティブに感覚や理解、思考などを共有することになるのかな?とも思う事。出前授業の時は科学の話をしたけど、多分、この中には(言語では鳴るけど)文学や美術に興味と持ち、時にその表現法に冴えた小学生が複数いるのではないかという事も同時に考えた。科学の世界は芸術と入れ込めるかどうかは難しいかもしれないが、欧州やアメリカだとある程度の科学リテラシー、或いは科学への理解のあるデザイナーがおり、またその需要もある。そのオリジンは分からないが、国際会議や集会で時に目にする優れた動画、スライドがしばしばそんな人たちによって作られている。イタリアには漫画の書ける物理学者・アンドレア・ロモリ博士も居るけれど、基本、研究者があそこまで凄いクオリティのモノを作れないよね、ってえが良く登場する。ある意味情緒的なモノだが、どうやって理解を導くか、その手段において、同じ土俵で戦うには厳しい。
 何でもかんでも個人ベースな科学コミュニケーターって楽しいからやるとしても、大変なことだと思う。本当に。

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【2020/10/15 20:02】 | 研究
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