なにやら妙な研究してる・そういう噂~環境科学&農生態学系物質循環研究者の日常~
 朝は起きれないし、午前は仕事にならなかった。って、最低限のメール返信とかの雑務はしたけど、イカン。
 昼にドラッグストアに行った後、定食屋さんに行き弁当を買って帰還。外は気分が良い気温だった。確かに朝は涼しくて窓全開の必要はなかった。
 午後、走り出しはイマイチだが、火がついたらまあまあ仕事になった。日本語と英語のはざまで考える。考えるところを書いて共著者に文書を回し、終わったら別件を済ませて…気づいたら帰宅できる時間に近い。このまま夜まで頑張っても良いのかもだが、その気分も無く、退出。
 帰りも十分に気分の良い気温だった。急ぐことも無く帰りついた。
 軽く食べ、ホッと一息。これを書いている。

 Web空間が私の接し始めた90年中盤以降、コンテンツは膨大になり、色々な情報が居ながらにして手に入るようになった。
 ふと思い立って、自分的レジェンドの事を敬称略であるが、書いてみる。
〇吉田正太郎:2015没
 「天文アマチュアのために望遠鏡光学」(誠文堂新光社)、「カメラマンのための写真レンズの科学」(地人書館)を著した東北大学の名誉教授。読んだのが厨二…じゃなくて中2の頃で、市立図書館の天文学と趣味の棚にあったと思う。少なくとも前者は高校生の数学(少なくとも三角関数)が必要になる本だったので理解は無いが、自分にとっての「世界」をとてつもなく広げた本であり、小学生のとき読んだ本田宗一郎の半生やC.セーガンの「コスモス」を遥かに超えて「凄い」と思った本であり、書いた人であった。こんなすごいことが学べるなら、と高校では東北大学工学部を目指すも成績は振るわず、特に物理がダメだったのが致命的で断念。紆余曲折の後、何故かその後ほかの大学で生態学を学ぶ。そうは言っても研究者を志したのは、明らかに吉田先生の所以である。
 天文学にも通じておられ、中学生向けの天文書を書きたい、と言っておられた真意を得るのに博士号を得てのち10余年、特別授業のネタで実感し体現するのはさらに5年以上要した。とは言え、それを本にしていないのだから、既に入門書を書かれていた先生には遠く呼ばないなと思うばかり。

〇星野次郎
 多分今や天文ファンだって「誰?」って感じだと思う、いやマジ。「反射望遠鏡の作り方」(恒星社厚生閣)という本を書いた人であり、製作された反射鏡は「星野鏡」と言われる。他に有名な製作者として木辺成麿(~1990)の木辺鏡、苗村敬夫(存命、知らんかった!)の木辺鏡、日本特殊光機だったかからの依頼で入手できた苗村鏡(今もやって頂けるそうだ!知らんかった!!)と言ったものもある。生年・没年不明だけど…木辺成麿の方が年嵩なんだろうか?大学にあった望遠鏡が木辺鏡だった。
 閑話休題、この本を読んで、鏡を自作する気の長い作業は私には無理!と思ったけど、一方で様々な反射望遠鏡の形式を知り、その設計法を知った。光学系を決め、これをドラフター(色々なモノの設計図の製図を行う机みたいの)で起こすのが中学の時楽しかった。吉田先生の本を読んでから、星野先生の本を読んだのだった。その意味では吉田先生の次に着く人である。著書は所有していないが、冒頭の本は再発行されたらしい。

〇山田卓(2007年没)
 「春の星座博物館」(地人書館)とこの夏秋冬版を書かれた人で、これは優れた普及書なので読んだ人は吉田先生より多いと思われる星野先生の、2桁は多いと思う。昔はハードカバーだったが、今もソフトカバーで売られている。2000年分点に製図は変わっているだろうか?名古屋市科学博物館でプラネタリウムの解説もされていて、大学の時1度偶然聞いたことがあるが、内容的にはちょっと難しかったので、子供たちにはイマイチだった。イヤイヤここを書くなら野尻抱影氏(「星三六五夜」)だろう?と通なことを言われるかもしれないが、年代的には山田氏の時代の人なのである、何時の時代の人間だ?と言われることがしばしばある私でも。
 逝去を知ったのは、車山高原のとあるペンションでスクラップを見ていたら、何気にインタビュー記事にあったとこ。まあ、そんなことがあっても、不思議ではないが、そうだったのかと…

 多くの方の死を悼むことに関しては西田幾多郎が合うのかもしれない。そのような刺激的な書き方は出来ないが、…なんとなく秋の夜長に個人を思ったのでした。

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【2020/09/14 19:52】 | 徒然
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