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Lab of Voynich Code

なにやら妙な研究してる・そういう噂~環境科学&農生態学系物質循環研究者の日常~

周った首の代償は担々麺で加速して払う 

 朝起きるのが辛い。出勤してもどうもピリッとしない…危険だぞこれは、という状態で、今更脳味噌が盆に入った感がある。でも早くポスターは作りたいわけで…。
 スパイスが足らないならカレーか?それも良いがどうせなら担々麺!と考え、昼にチョイと外に出た。と言ってもそれほど辛くないと感じる口ではあったのだが、今日の青山椒入り担々麺はある程度辛くてちょっと喝が入る感じ?
 午後研究室に帰ったら、何気に脳みそが動き、ポスターを取り敢えず完成した。未だプリントはしないが、ちょっと安心。あと予定の固定で少々メールのやり取りをして、気づけば定時過ぎ。少しお茶を飲んで一服し、今日は退出。

 昨日は台風警戒なら、今日はそれなりに道が混むはず、と睨んでいたが、存外に空いていた。というか、今週前半の混み方は何?って感じ。気温は30℃を切るし、いい感じで帰宅できた。

「ときめきまんが道 上・下」(池野恋)を読了。懐かしいタッチのキャラを挟みつつ、進む時間を自分の記憶と結びつけると一寸感慨もある。浪人中に諸般の事情で少女漫画を随分と呼んだが、時期的にはちょっとズレている。とはいえ、あのキャラのかきかたは、懐かしいものだ。まあそれは置いといて、今風の漫画は実はそれなりに読んでいるが、昔と今の一番の違いは、比率の変化だとは思うが、性格や思考アルゴリズムが固定されたキャラクタがそれを超えることなく定型の行動をとるのを楽しむ系の優占が挙げられるのではないか。ここには登場人物の意外性が入ることが無く、個人的には全くツマラナイ。言ってしまうと物語が無いのである。ポストモダン=大きな物語の死、と定義づけられるというが、すべての物語の絶滅迄は論じていなかったと思うが、「動物化するポストモダン」(東浩紀・講談社現代新書・2001)が動物だけの現在になってしまったようだ。そのような消費が悪い訳じゃないという評もあるが、それは人格の懐の深さ・思考の重厚さがあっての事であり、そこまで軽薄短小化していないことを前提とした話である。Y/Nと掛語ではなく、単純には議論・熟考が出来るか?という事でもある。そういう時にはやはり物語が必要になるのではないか?その面で、物語が生きた漫画はどんどん減っているのでは問題ではないか?世の中のように説服しようとか考える気は更に無い。漫画も何も、読み手が減るのは仕方ない。が、他方こうした物語が書ける人が少なくなるのは問題ではないか?と、長編を書いてきた人の本を読むと、強く思えてしまう。漫画はイラスト集じゃなく、絵「本」だよ、と思うのだけど…

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