利己的遺伝子から見た人間 (PHPサイエンス・ワールド新書)

2012.11.18(19:44)

利己的遺伝子から見た人間 (PHPサイエンス・ワールド新書)利己的遺伝子から見た人間 (PHPサイエンス・ワールド新書)
(2012/03/17)
小林 朋道

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 二人の考古学者が自分の研究する文明が如何に進化していたかを話しているうち高揚してきた。一人が「遺跡から参加した銅線が発掘されたんだ。電話を使っていたらい」と言うともう一人は「ウチでは何も出なかった。無線を使っていたに違いない」(近年は携帯電話になっている、が、読んだのは30年以上前の、さらに古い本こと)

「利己的遺伝子」の考え方はある面で系統進化を説明する際に都合よく物事を説明できる概念であるのはわかるが、もちろん万能ではないと思う。少なくとも「種多様性」をきちんと「利己的遺伝子」で説明できるかは、どうも苦手っぽい感じを受ける。所詮、オッカムの剃刀という人の取り決めに沿って何かを話すなら、使えないことはない仮説、程度のものであると私は考える。

 本書であるが、行動に見るときのその進化上に意味を利己的遺伝子で説明することから始まる。まあ、これはポピュラーモノとしては定番の入り方だと思う。しかし、その次が良くない。唾を吐く行為の解釈やら文化的側面と言って悪くないことにも利己的遺伝子で説明してしまうのは、どう考えても自説と自学派・自分の学術の優秀性の強弁にすぎなくなっている。

 この著者、どうやら携帯電話を使ってしまったようだ。
 以前も人の行動を何でもかんでも利己的遺伝子で説明しようと言うすさまじい本はあったが。
 (進化倫理学入門 (光文社新書))

 このあたりはオッカムの剃刀で考えたほうがいい。なんでも遺伝子だと強弁するより文化で考えた方がいいのだ。その両者が実は離れにくい存在になってミームになったりしてきたのである。或いは三中分類学的に考えると、デジタルに生物的遺伝とその生態的文化を分けることをナンセンスであると言えるのである。
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