カメラ・写真趣味者はしばしばレンズ・オールドレンズ「沼」にはまるという事を言う。個人的に「御浄財だから天に登るのでは?」というと、「いやいや、これはそのなし沼だから」というリアルの声があり、いかがなものかと思うのだが。でも「オールドレンズはバベルの塔」(澤村徹・ホビージャパンMook)を読むとわからないでもない、と思うところではある。沼の底と天上の上がウロボロスのごとく繋がっているんだという解釈は…却下かな。
沼というと、どちらかというと趣味世界の話、と考えてしまうのだが、本書に登場する話にはしばしば身体・精神的な依存症と言っていいものがあり、全て沼で片づけるのはどうかと思う部分が多々ある。依存症でなければ承認欲求の暴走じゃないか、或いは人格障害ともいえそうなものもある。その面で当初予測していた、はまっている人も含め、おバカなところをさりげなく感じつつも表面的には笑えるようなものとしての沼世界の列挙ではない。仮にそれが、本書の終わりのほうにある、はまった当人が新新宗教じゃなくても輝ける喜びを感じられる世界、或いは幸福を感じているのを、おバカだね、と言えるものでもない。或いは本書の初めにある「オタク」志向ともずいぶんとずれていると思う。…まあその道に殉じる貴族でも努力エリートでもない自称する平民オタのことはよくわからんが。
そんな訳で、必ずしもおバカ加減や突き抜けた笑いも少々あるが、相当部分を洒落にならない引きつり笑いのうちに読み終わった感のある本書。帯の「危うくも至福」とは何ぞやと悩む感は多々ある。むしろこれは精神病理として斎藤環氏にでもまとめてもらえれば、事例を列挙しある程度まとめただけの記載より、500人以上の取材(帯より)はもっと深く、有意義になったのではないか、と思うのだがどうだろうか。或いはこうした病理を生む現代社会のはらむ問題を考察するとか。そのほうがディープに楽しめそうに思う。
沼というと、どちらかというと趣味世界の話、と考えてしまうのだが、本書に登場する話にはしばしば身体・精神的な依存症と言っていいものがあり、全て沼で片づけるのはどうかと思う部分が多々ある。依存症でなければ承認欲求の暴走じゃないか、或いは人格障害ともいえそうなものもある。その面で当初予測していた、はまっている人も含め、おバカなところをさりげなく感じつつも表面的には笑えるようなものとしての沼世界の列挙ではない。仮にそれが、本書の終わりのほうにある、はまった当人が新新宗教じゃなくても輝ける喜びを感じられる世界、或いは幸福を感じているのを、おバカだね、と言えるものでもない。或いは本書の初めにある「オタク」志向ともずいぶんとずれていると思う。…まあその道に殉じる貴族でも努力エリートでもない自称する平民オタのことはよくわからんが。
そんな訳で、必ずしもおバカ加減や突き抜けた笑いも少々あるが、相当部分を洒落にならない引きつり笑いのうちに読み終わった感のある本書。帯の「危うくも至福」とは何ぞやと悩む感は多々ある。むしろこれは精神病理として斎藤環氏にでもまとめてもらえれば、事例を列挙しある程度まとめただけの記載より、500人以上の取材(帯より)はもっと深く、有意義になったのではないか、と思うのだがどうだろうか。或いはこうした病理を生む現代社会のはらむ問題を考察するとか。そのほうがディープに楽しめそうに思う。
中国脅威論を中心とした話の本だが、張りぼて感は否めない。
いろいろ材料を持ってきて組み立てているが、その背景に中国での歴史で教えている内容とかを持ってきているが、この辺は私には文部省教育の失敗部分(成功部分はそれほど多くないと思うけど)を見るようで、失笑するしかない。教科書に書いてあるから、教えているから誰もが従順にそれに従っている…それは日本人の感覚である。前世紀の話になるが、1989年の「天安門事件」は中国のインテリ・大学生以上の起こした反政府運動と言って間違いはないだろう。今世紀に入ってみれば2019-2020年の香港の民主化運動というものもあったが、ご存じないらしい。その程度に中国の、特にインテリ層・大学生以上の層は中国という国に醒め・覚めている部分がある。或いは毛沢東時代というものがその昔あって、当時尖閣諸島は日本領とされていた。鄧小平は棚上げ論がぶち上げたのは、中国が力を蓄える時間を得ようとしたから、というより、この30余年経済衰退を志向してきた政治の失敗を考えていないで僻みによって発生した事態ともいえる。
外に脅威を求めるばかりで、内の充実を考えないのは、それほどまでに日本は衰退し荒廃していることを示しているだけである。
端的に著者の考えは歴史があるようで都合のいいことを並べた厚みのない張りぼてと言えるだろう。衝突回避の方法を探る、と帯にはあるが、果たして?
私的には、この手の言説をまとめた本を読むのが初めてなので、その考え方が多少分かったkら価値はあった。一方でこの程度の話にいきり立つならば、まあ頑張ってね、である。台湾有事を考える前に露宇戦争を見ながら読むべき本は、この手の勇ましい話ではなくA.ポンソンビー卿の「戦時の嘘」(1920)か、これを検証的に記したA. モレリ「戦争プロパガンダ10の法則」(2015・草思社)である。
勿論、日本には「理屈じゃねぇんだよ!」って理屈があるのも知ってはいるが。
いろいろ材料を持ってきて組み立てているが、その背景に中国での歴史で教えている内容とかを持ってきているが、この辺は私には文部省教育の失敗部分(成功部分はそれほど多くないと思うけど)を見るようで、失笑するしかない。教科書に書いてあるから、教えているから誰もが従順にそれに従っている…それは日本人の感覚である。前世紀の話になるが、1989年の「天安門事件」は中国のインテリ・大学生以上の起こした反政府運動と言って間違いはないだろう。今世紀に入ってみれば2019-2020年の香港の民主化運動というものもあったが、ご存じないらしい。その程度に中国の、特にインテリ層・大学生以上の層は中国という国に醒め・覚めている部分がある。或いは毛沢東時代というものがその昔あって、当時尖閣諸島は日本領とされていた。鄧小平は棚上げ論がぶち上げたのは、中国が力を蓄える時間を得ようとしたから、というより、この30余年経済衰退を志向してきた政治の失敗を考えていないで僻みによって発生した事態ともいえる。
外に脅威を求めるばかりで、内の充実を考えないのは、それほどまでに日本は衰退し荒廃していることを示しているだけである。
端的に著者の考えは歴史があるようで都合のいいことを並べた厚みのない張りぼてと言えるだろう。衝突回避の方法を探る、と帯にはあるが、果たして?
私的には、この手の言説をまとめた本を読むのが初めてなので、その考え方が多少分かったkら価値はあった。一方でこの程度の話にいきり立つならば、まあ頑張ってね、である。台湾有事を考える前に露宇戦争を見ながら読むべき本は、この手の勇ましい話ではなくA.ポンソンビー卿の「戦時の嘘」(1920)か、これを検証的に記したA. モレリ「戦争プロパガンダ10の法則」(2015・草思社)である。
勿論、日本には「理屈じゃねぇんだよ!」って理屈があるのも知ってはいるが。
プラスチックモデルは小学校の4年生くらいまで作って遊んでいた。その当時はいわゆるガンプラ(本書に登場するガンダムのプラモデル)はなく、アニメ繋がりのプラモデルもあったけど基本はリアルに存在する・したスケールモデル…WWII頃から当時最新の戦車や戦闘機、軍艦、自動車等を小さくしたもの…が主体だった。だからそっち系のマニアでなくてもプラモデルを愛好する老いも若きも幼きもミリタリものにはごく近しく接していた。
そんな中で経験する「機動戦士ガンダム」(世にいうファーストガンダム)は、とてつもなく画期的ですごい「事件」だった。未だ各方面から賞賛をもって評価・突っ込まれて何冊も本が出続ける、「ユトランド海戦」のごとき出来事である。が、当時私は既にラジオ少年だったので当時のおもちゃ業界のことなど興味はなかったし、プラモデルを販売する店・棚のある所には行ったけど何が売れているかなど知ったところではなく、視聴者の盛り上がりより玩具の売り上げで打ち切りになったというのを随分と後に知るほどだった。が、単なるアニメ好きとして、超時空系統と装甲騎兵ボトムズ以外の本書に登場するリアルロボットアニメは好きで概ね見ていた。そんな中で唯一私と本書を繋ぐ接点は、相当に自由なアイデアで楽しんでデザインしたな!と思った伝説巨神イデオンに登場した相手メカのガンガ・ルブとアディゴでしかない。
とはいえあの時期のリアルロボットアニメとその最大スポンサーたるプラモデルメーカー・玩具メーカーの動向とはどんなものだったのか?について、市場の皮膚感覚や事情が時系列で対談とアニメ作品紹介の小気味よさには、手に汗握る臨場感があって、割と読むのに時間のかかる本だったけど、優先的に私にしては割と早期に読んでしまった。時代を超える雰囲気に酔いつつ、でもここにかかれた事情と事実と街場の空気についての知識を蓄えた上で、巻末のまとめを読むとまさに今が見えてくる感じがしてくる。リアルロボットアニメーションというポップカルチャーとかサブカルチャーの一角を占めて続く、その根源に迫った相当な情報を盛り込んでいるので、当時を回顧する趣味ではなく原論と40年を経た歴史という感がつよい。本書はその記念碑であろう。
そんな中で経験する「機動戦士ガンダム」(世にいうファーストガンダム)は、とてつもなく画期的ですごい「事件」だった。未だ各方面から賞賛をもって評価・突っ込まれて何冊も本が出続ける、「ユトランド海戦」のごとき出来事である。が、当時私は既にラジオ少年だったので当時のおもちゃ業界のことなど興味はなかったし、プラモデルを販売する店・棚のある所には行ったけど何が売れているかなど知ったところではなく、視聴者の盛り上がりより玩具の売り上げで打ち切りになったというのを随分と後に知るほどだった。が、単なるアニメ好きとして、超時空系統と装甲騎兵ボトムズ以外の本書に登場するリアルロボットアニメは好きで概ね見ていた。そんな中で唯一私と本書を繋ぐ接点は、相当に自由なアイデアで楽しんでデザインしたな!と思った伝説巨神イデオンに登場した相手メカのガンガ・ルブとアディゴでしかない。
とはいえあの時期のリアルロボットアニメとその最大スポンサーたるプラモデルメーカー・玩具メーカーの動向とはどんなものだったのか?について、市場の皮膚感覚や事情が時系列で対談とアニメ作品紹介の小気味よさには、手に汗握る臨場感があって、割と読むのに時間のかかる本だったけど、優先的に私にしては割と早期に読んでしまった。時代を超える雰囲気に酔いつつ、でもここにかかれた事情と事実と街場の空気についての知識を蓄えた上で、巻末のまとめを読むとまさに今が見えてくる感じがしてくる。リアルロボットアニメーションというポップカルチャーとかサブカルチャーの一角を占めて続く、その根源に迫った相当な情報を盛り込んでいるので、当時を回顧する趣味ではなく原論と40年を経た歴史という感がつよい。本書はその記念碑であろう。
読書とは何か、それは狩りである。というのが三中氏の言である。
確かに、そういう一面は相当にある。但し「食わせ物」が相当にあるのは事実。ここから先の手法は、KGB式に斜め読みで良いから取り敢えず最後まで、というのがKGBの流儀だとか(佐藤優)、止める(サイエンスコミュニケーターのおびお氏)のもある。乱読が通じたのは40年は前の事では無いか、と思うところはある。ただそれでも人生の至宝になる本が時にあるのは事実である。
本書で一番画期的に思えたのは、積読に対する考えだろうか。定式化はされていないし、たくさんの手法はあると思うが、私も有象無象の積読が多いものの、蒐集は決して悪ではないというのは、ちょっと嬉しかったりする。狩りに対する眼力を鍛える事はまだまだ甘いかと思う。
大学時代のサークルの後輩Q(仮称)も三中氏に倣うと共に後で後悔しないようにと、床を抜く程ではないが相当の蒐集を行っているという。曰く「三中さんの大きな背中を追いかけていきたい」そうだ。個人的には背中も大きいけれどお腹も大きいので、その中でお酒の占める位置を測ってみたい、と思っている…のは置いといて、購入含め、読書という行為・愉しみの一つのスタイル・方向性を確立し、提示した本書である。ベルクソンの「笑い」に匹敵する読書ガイドであることに間違いはない。
確かに、そういう一面は相当にある。但し「食わせ物」が相当にあるのは事実。ここから先の手法は、KGB式に斜め読みで良いから取り敢えず最後まで、というのがKGBの流儀だとか(佐藤優)、止める(サイエンスコミュニケーターのおびお氏)のもある。乱読が通じたのは40年は前の事では無いか、と思うところはある。ただそれでも人生の至宝になる本が時にあるのは事実である。
本書で一番画期的に思えたのは、積読に対する考えだろうか。定式化はされていないし、たくさんの手法はあると思うが、私も有象無象の積読が多いものの、蒐集は決して悪ではないというのは、ちょっと嬉しかったりする。狩りに対する眼力を鍛える事はまだまだ甘いかと思う。
大学時代のサークルの後輩Q(仮称)も三中氏に倣うと共に後で後悔しないようにと、床を抜く程ではないが相当の蒐集を行っているという。曰く「三中さんの大きな背中を追いかけていきたい」そうだ。個人的には背中も大きいけれどお腹も大きいので、その中でお酒の占める位置を測ってみたい、と思っている…のは置いといて、購入含め、読書という行為・愉しみの一つのスタイル・方向性を確立し、提示した本書である。ベルクソンの「笑い」に匹敵する読書ガイドであることに間違いはない。
随分前に「MBAは数が居て、かつ時代遅れ。今の求人はMFA(Master of Fine Art)」というのを読んだ覚えがある。当時は日本でMBAが飽きられ始めた、或いは、海外で2年遊んできた奴らとして会社が出資してにもかかわらず相手にしないという事実が上がっていた頃。Artとはアウトプット指向?と思ったのだけど、その辺は私が院を中退した頃から日本の研究者にとって深刻な問題故で、本書を読むと内実がなるほどと氷解した感があった。
常識、普遍的に存在する不文律の合意・理解、そう言ったものに対して疑問を持ち、アートの手法をもって疑問を具現化し知らしめること、それが本質的な問いであり、アートの底流にある。それが私なりの本書の理解である。本書の前半はそんな感じで少々抽象的な話、ではその問いとは何か、を具体的に切り込んで例示しいったのが、本書の後半という感じに思えた。
まあそれがアートとして洗練されてはいるが、ベタに言えば1960,70年代から言われている「常識を疑え」だ、と言うとかなりシラケ感はあるけど、考えてみればもう半世紀前の事である。或いは私が農学の世界に入ってから、しばしば農業の現場では破壊的な改変を伴うかもしれない新しい血…若者よそ者馬鹿者…に地域再興を求めてはどうかという話は聞いてきた(受け入れる素地があるとは限らないようだが)。地方での都市論(或いは町論とでもいいたくなる規模の話もある)でも、ある意味破壊的な発案が必要ではないか(同)、という話も読んできた。その変革の必要性が、遂に社会・企業体に入って来たのか、というのはある意味、とても興味深い現象である。MBAは車の運転方法こそ知っているが、何処にどう行けばいいかはわからない。MFAは基本的な問から次の方向性のカギを与えられる。その違いは大きい。
後半のアートにあるものの持つ問いかけの解説は、悪く言うと単なる作品やアーティストの解説でありイマイチに思えないでもなかった。でも、こうでもしないと日本で現代アートが理解されないんだろうな、とも思えたけれど、私も嗜む程度でここまできちんと考えてきていなかったから、勉強になった。逆説的に、日本の閉塞は如何に盤石になったか、は、このアート世界の逆であるからともいえると思った。
バンクシーの絵が落札直後にシュレッダーですだれ状に裁断された、というアートの手法で言うハプニングを施された事、その後のオークションで裁断された絵にさらに高い価格が付いた話は未だ記憶に新しいと思いたい。所有やモノの持つ価値への問いかけと挑発であるが、個人的にはその行為に喝采を送り、さらに高額で購入したことには、わかってるねぇ、と思えたのだけど。こういう価値の破壊的側面は、未だ日本では弱いように思える。
日本でも「追求権」(作品が売られる・転売されるときに、一定額が制作者に還元される)がでてこればいいのになぁ、ってのも思った。貧乏は必要条件でも十分条件でもない。
ちなみに本書、昨日私が見に行ったChim↑Pomも少し登場する…が矢張り作品を見るのサイコー!というのが私の感覚。いや、面白かった。ちなみにストロボ撮影は不可だけど、基本的に撮影はOKなので、私はカメラを得物に楽しみました。
常識、普遍的に存在する不文律の合意・理解、そう言ったものに対して疑問を持ち、アートの手法をもって疑問を具現化し知らしめること、それが本質的な問いであり、アートの底流にある。それが私なりの本書の理解である。本書の前半はそんな感じで少々抽象的な話、ではその問いとは何か、を具体的に切り込んで例示しいったのが、本書の後半という感じに思えた。
まあそれがアートとして洗練されてはいるが、ベタに言えば1960,70年代から言われている「常識を疑え」だ、と言うとかなりシラケ感はあるけど、考えてみればもう半世紀前の事である。或いは私が農学の世界に入ってから、しばしば農業の現場では破壊的な改変を伴うかもしれない新しい血…若者よそ者馬鹿者…に地域再興を求めてはどうかという話は聞いてきた(受け入れる素地があるとは限らないようだが)。地方での都市論(或いは町論とでもいいたくなる規模の話もある)でも、ある意味破壊的な発案が必要ではないか(同)、という話も読んできた。その変革の必要性が、遂に社会・企業体に入って来たのか、というのはある意味、とても興味深い現象である。MBAは車の運転方法こそ知っているが、何処にどう行けばいいかはわからない。MFAは基本的な問から次の方向性のカギを与えられる。その違いは大きい。
後半のアートにあるものの持つ問いかけの解説は、悪く言うと単なる作品やアーティストの解説でありイマイチに思えないでもなかった。でも、こうでもしないと日本で現代アートが理解されないんだろうな、とも思えたけれど、私も嗜む程度でここまできちんと考えてきていなかったから、勉強になった。逆説的に、日本の閉塞は如何に盤石になったか、は、このアート世界の逆であるからともいえると思った。
バンクシーの絵が落札直後にシュレッダーですだれ状に裁断された、というアートの手法で言うハプニングを施された事、その後のオークションで裁断された絵にさらに高い価格が付いた話は未だ記憶に新しいと思いたい。所有やモノの持つ価値への問いかけと挑発であるが、個人的にはその行為に喝采を送り、さらに高額で購入したことには、わかってるねぇ、と思えたのだけど。こういう価値の破壊的側面は、未だ日本では弱いように思える。
日本でも「追求権」(作品が売られる・転売されるときに、一定額が制作者に還元される)がでてこればいいのになぁ、ってのも思った。貧乏は必要条件でも十分条件でもない。
ちなみに本書、昨日私が見に行ったChim↑Pomも少し登場する…が矢張り作品を見るのサイコー!というのが私の感覚。いや、面白かった。ちなみにストロボ撮影は不可だけど、基本的に撮影はOKなので、私はカメラを得物に楽しみました。